phoenix-powerゼロから創造することについて

前回の記事である存在の世界に書いたように、私は、ゼロから生まれるものは何もなく、人間は何かをゼロから生み出すことはできないと言いました。すべては、組み合わせでしかないと。

しかし、このことについてあまり深く考える必要はありません。

だって、それじゃあ、不自由でしょ。自分では何も創造できないなんて考えるのは、勿体無い。

自分はどんなものでも創造できる、そう考えておきたいものです。

正確ではありませんが、このような考え方のほうが私は好きですね。

このことについて、例えば、直感というものについて考えてみましょう。

直感というものも、他の物事と同じように、何らかの組み合わせで発動するものであることは間違いありません。

しかし、直感が発動するとき、降って湧いたように感じる事があるのも事実です。降って湧いたというのは、あたかもゼロから生み出されたようなということです。

では、一体何の組み合わせで直感は発動どうするのでしょうか。

それは、分かりません。

しかも、現在の科学でそれが解き明かされるとは到底思えません。

なぜなら、現実の世界は、今も未知で溢れているからです。

もしかしたら、未知の物質の組み合わせで直感が発動するのかもしれません。

つまり、私達が知らないことはまだまだたくさん存在するにもかかわらず、すべては何らかの組み合わせで出来ていると考えてしまうのは、場合によっては、自らの考えを狭めることになってしまう危険があるということです。

というのも、一般的に組み合わせと聞くと、それは知ってるものや解明されているものだけの組み合わせと考えてしまうことが多いからです。これは、言葉のイメージというか、雰囲気というか、非常に曖昧なものなのですが、そんな感じです。

ただし、私の場合、何か難しい問題を考える際に、正しい結論に辿り着くために、この考え、具体的には、全ては組み合わせで出来ているという考えを元に思考を構築していくことがあります。

なぜそんなことをするのかって?

それが問題を考える時、役に立つからです。

たとえ難しい問題であっても、それはただの組み合わせにすぎないと考えることで、少し簡単になった気がしませんか。

前回の記事では、このことを伝えたかった。

しかし、先程も言ったように、何らかの創作活動を行う場合は、このような考え方に囚われるべきではありません。

感じるまま、思うがまま行うのが一番です。

作品は、自分の心の形を出来る限り正確に描写されているもののほうが、私は好きですね。

そして、それが、あたかもゼロ(何もないところ)から創り出されたかのように見えても別にいいんです。

さて、だいぶ自分の想い(感情)をぶつけた記事という感じになってしまいました。

私は以前、自分の想いをぶつけた文章は書けないと言ったことがありました。

しかし、これは正確な表現ではありません。

私が想いをぶつけるべき場所は、ブログではなく、小説だと考えているので、ブログでこういう感じの記事を書くことはほとんどありません。

反対に、小説の中では、割りと自分の想いをぶつけて書いてる気がします。

皆様、私が一度だけ書いた小説を覚えているでしょうか。

誰も覚えてないと思うので、説明しておくと、そこには、創造計画というものが出てきます。

これが、小説の中の一つのキーワードです。

そして、もう一つは、存在エネルギーとか生命エネルギーとか言われるもの。

実は、小説のテーマは、この2つ(創造と存在)のぶつかり合いを描いたものでした。究極的にはですが。

ここで、この2つのぶつかり合いが、物語の中でどのように調整され、どのような結論が出されるのか、というのが、私が考える物語の本質的な部分だった気がします。

小説については、1週間以内に、何らかの形にします(こうでも言っとかないと、やらないからな…)