phoenix-power今回は、真理というものについて少し考えてみました。

存在しない真理

結論

真理というものがあるとすれば、それは真理など存在しないことである、と私は考えています。

私にとって真理というのは、「真理なんてものは存在しない」ということだったりします。

少し分かりにくいですね。結論を先に書いてしまったので、分からなかった人には、以下の文章で、「真理なんてものは存在しない」と考える理由について説明していきたいと思います。

真理とは

確かに、一見して真理らしいことは世の中にたくさんあります。

例えば、人間からは人間が生まれ、トカゲからはトカゲが生まれるというようなことです。これを言い返せば、人間からは人間しか生まれず、トカゲからはトカゲしか生まれないということでもあります。

また、これは生物に限らず、水素と酸素が結合すると水になるという原子と分子の関係にも言えることです。

簡単には、あるものを組み合わせると、必ずあるものができるということです。これもひとつの真理と言っていいのだと私は思います。

ここで、真理というのは、ある一定の事象についての絶対的な答えを言います。

特別、国語辞典を調べたわけではありませんが、私の認識というかイメージで言うと、そんな感じです。

さて、少し話を脱線しますが、私は、ブログを書く際に特別調べ物をするということはほとんどありません。

わざわざ調べない理由は山ほどあるのですが、その一つは、面白く無いからです。

単に調べたことを羅列するだけでは、私は面白く無いと思っています。だからできるだけ避けているという事情があります。

まあ、本音を言うと、面倒くさいというだけの…(略)

話を戻します。

この記事で使う「真理」という言葉の定義を説明したところでした。真理とは、「ある一定の事象についての絶対的な答え」のことと私は考えます。

この点、事象というのは、「あるものAと、あるものBの組み合わせ」のことと考えてもらえれば分かりやすいのではないかと思います。

また、絶対的な答えというのは、「ABの組み合わせは、100%の確率でCという答えになる」といういわば数学的な計算の答えのようなもののことを言います。

ここで、数学的な計算の答えというのは、特別な人間にしか導き出せないものではありません。一定の数式を用いれば、だれにでも同じ答えを導き出せるものです。それが、数学的な計算の答えです。

真理の捉え方の違い

以上より、私の考える真理が少しは明確になってきたのではないかと思います。

つまり、真理とは、個人の中にあるもの、個人の中にしかないものではなく、誰の中にもあるものだと私は想定しています。

確かに、真理は個人の中にあり、自分が、自分だけが、自分だけの真理を見つけ出していくものと認識している人も多いようです。

そういった場合、私は、上の考えを否定するつもりは全くありませんが、それは私の考えとは異なるということになります。

ただ、考え方が異なるということ自体は、別に大した問題ではありません。全くありません。

したがって、あまり、気にしないでくださいな。

真理が存在しない根拠

根本的な思想

原則には必ず、例外がある。どんな事象にも絶対はない、というのが私の根本的な思想の一つです。

これは、無理してバランスをとろうとしているわけでもなければ、どんな絶望の中にも希望があると信じてるというわけでもありません。

ただ、宇宙のような広大なものを考える上では、真理などという絶対的なものなど無いと思っているだけです。

生物の突然変異

ここで、「原則には必ず、例外がある。どんな事象にも絶対はない」と考える理由について説明していこうと思います。

例えば、生物には突然変異があります。

つまり、恐竜Aと恐竜Aからは恐竜Aしか生まれないという原則、法則があったとします。

私達は、その事象を見て、観察し、何百回、何万回、何億回とそれが繰り返されているのを見て、「恐竜Aと恐竜Aからは恐竜Aが生まれるという」ということを知ったとします。

これは、私達が観測できる上での100%の確率でそうなります。

しかし、私達が観測できない時間軸での事象を考えた場合はどうでしょう。

そこには、100%の確率というものは存在しないのです。

100億回繰り返されて、

「また、あの卵から恐竜Aが生まれるよ。見ててごらん」

「あれ、なんだこれ?今までと違う」

ということも起こりえるかもしれません。これが突然変異というものです。

これは、生物にかぎらず、原子やありとあらゆる科学法則についても言えることかもしれません。

突然変異が起こる頻度はわかりませんが、ミクロの、遥かはるかに細かい事象を観察すると、たぶん、色々なことが起こっているのでしょう、と想像します。

これは、例えば、私達の体の中で起こっていることと似ています。

私達の体は、原則として保護されています。外から来た悪い物質などをやっつける戦いが繰り広げられているのです。

ここで、勝利者は、いつも私達の体です。

しかし、稀に私達の体が外から来た悪い物質に敗れることがあります。

ただ、この1つの戦いの結果だけでは、体に害はありません。しかし、多くの戦いで敗北が続くと、体に異変が起こり、風邪などを引いてしまうかもしれません。

原子の組み合わせについても、もしかしたら、私達の体の中のように、目に見えない細かい物質の戦いがあり、単に、いつも一定の量で勝っているだけ。そのため、一定の組み合わせで一定の答えが導かれるだけの話かもしれません。

しかし、私達が観測できない時間軸では、そのバランスが崩れることもあるかもしれません。

もしかしたら、宇宙がいくつも存在していて、そこでは、バランスが崩れ突然変異した原子で満たされているのかもしれませんし、また、この星に存在する原子が実は突然変異を繰り返したものであるかもしれません。

つまり、私は、どんなことであろうと、いずれひっくり返されると考えています。基本的にですが。

ある科学者の言葉

昔テレビで、科学者が「全くもって驚くべき結果だ」と言っていたのを聞いたことがあります。

これは、私達一般人よりも遥かに特定の分野に詳しい科学者が、その分野について言った一言です。

思うに、科学の発展には、2つのパターンがあり、1つは、「自分の考えを証明しようとして、証明できた場合」、2つは、「自分の考え(予想)を証明しようとしたが、その過程で違うことがわかった場合」だと思います。

もちろん、考えもなしに、ひらめきだけによってということもあるかもしれませんが、このパターンは、かなり少ないのではないでしょうか。

ここで、後者である「予想とは違ったものが出てきたよ」というパターンが最も多いのではないかと私は予想しています。

つまり、科学には、「全くもって驚くべき結果だ」、「予想もしない出来事が起こった」というようなことが頻繁に起こっているのではないでしょうか。

このようなこともあり私は、現実は、私達が考え、予想できる物事、真理を常に上回ると考えるようになりました。

真理らしいもの

正確に考える真理

ただし、私自身も真理っぽく見えるもののことを真理だと表現することはあります。

したがって、真理という言葉がひとによってどのように使われようと、それほど気にすることではありません、と考えます。

しかし、真理というものを正確に考えると、私の考えは上で述べたとおりです。

私の真理っぽくみえるものを一つ紹介

私にも、いくつかの真理(正確には、一見して真理っぽく見えるもののこと)を捉えることがあって、例えば、「元にいた場所に還る」というものもそうです。

元いた場所に還る、元きた場所に還る、最初の場所に還る、どの言葉で表現してもよいのですが、私の場合は、この事象が100%の確率で当てはまることが多いと感じています。

これは、「答えはいつも目の前にあるのだけど、一旦離れないと掴まえられない」という現象のことです。

私達は、答えを見つける、真理を見つける旅をします。そして旅の末、答えは最初の場所にあったことに気づき、引き返すのです。

この過程は無駄ではありません。この過程がないと、答えは見つけられません、と私は考えています。もちろん、例外はあります。一発で見つけられる人もいるでしょう。

ただ、私の場合は、一度失敗しないと、一度離れないと、どうしてもやり遂げることが、見つけることができないのです。

私は真理も何もない場所から来ました。そして、いくつかの真理とも思えるようなこと見つけ出しました。

しかし、最後には、最初と同じように、真理などなにもないことを知りました。

これが今回の旅の結末です。