phoenix-power何故こんなことになっているのか。

世界に恥を晒した「憲法9条ノーベル平和賞」申請 戦争放棄をうたった憲法は99カ国に存在、知識欠如もほどほどに:JBpress(日本ビジネスプレス)

上の記事を読んだ。いや、申請者は、それくらいのことは当然の前提として理解していると思うのだけど、というのが正直な感想だった。

簡潔に述べると、この記事を書いた人の見解は、「戦争放棄をうたった憲法は99カ国に存在しているにも関わらず、それを知らずにノーベル賞に申請して恥ずかしい」というものだった。

しかし、申請者が考える憲法9条の「戦争放棄」というものが何を意味するのかを明確にしないと、当然の前提が一致しないので、この記事は意味を成さないような気がする。

いや、正確には、相手の主張を理解する以前の問題で、まずは、自らが考える9条の戦争放棄の意味というか定義を明確にしないと、議論は一歩も進みはしないだろうと思う。

しかし、当該記事は、超絶に長い文章であるにも関わらず、憲法9条の法解釈を全く行っていないので、かなり謎が多く、疑問が多い記事だった。

いや、疑問と言っても法的知識についての疑問ではなくて、あくまで一般常識的な疑問なのだけど、小学生の作文でも、これくらいのことは理解している人は多いと思うのだけど、これは何かの間違いだろうか。

つまり、当該記事のテーマは、「戦争放棄」が何を意味するのかを明らかにしないと、相手の主張を理解できないし、自分の主張も伝わらないということだ。

まあ、それはどうでもいいか。

簡潔に述べると、憲法9条が規定する戦争の放棄は、侵略のための戦争と、自衛のための戦争の二つを放棄していると一般的には考えられていて、多分、申請者もその法解釈を採用しているのだろうと推測される。

そして、戦争というのは、当然だが自衛の名のもとに行われることが多く、侵略のために戦争をするなどというバカな国はほとんど無い。

ここで、侵略のための戦争を憲法で放棄している国は、確かに、90カ国以上存在する感じだったと思う。

しかし、自衛のための戦争まで放棄した国は珍しいということだ。具体的に言えば、日本くらいだったと思う。

したがって、申請者は、自衛のための戦争まで放棄した憲法9条をノーベル賞に申請したものだと考えられるが、まずは、このような相手の主張を理解しないと、話にもならないので、理解する努力をしたほうが良いかもしれないし、その旨は説明した方が良いのではないかと思った。

ただ、これは当然の前提なわけだが、それ以前の前提として、まずは自分の立場というか、自分が考える戦争放棄についての説明をしたほうが良かったのではと思ったのだが、それすら書いていないので、記事を読んでいて、よく分からない部分が多かった。

一体何故、これほどの長い文章中に、最も前提であり、最も大切というか、当たり前のことが説明されていないのだろうかと思ったが、ここには崇高で巧妙な意図があるのかもしれいし、私には読み取ることができなかったというだけの話かもしれないので、その点は断っておく。

といっても、私が書いたこの記事も、ほとんど意味のない表現で溢れており、本当なら3行ほどで済む話だったわけなのだが、驚き要素の説明でかなり長文になってしまったので、反省しなければならないだろうと思う。

一応、3行ほどのまとめを書いて終わります。

憲法9条が規定する戦争の放棄は、侵略のための戦争と、自衛のための戦争の二つを放棄していると一般的には考えられていて、多分、申請者もその法解釈を採用しているのだろうと推測される。

侵略戦争の放棄を規定した国は多いが、戦争は自衛の名のもとで行われるものであって、それを放棄した国は、日本くらいなので、その点で言えば、日本国憲法9条は珍しい。

まずは、「戦争放棄」をどう考えるかを書かないと、議論の前提条件すら満たしていないので、できればその点において自らの立場を説明されたほうが良いと思う。