phoenix-power前回の記事で、過去、現在、未来の時間軸のうち、どれを重視するタイプか?みたいな記事を書きました。読みなおしてみると、少しこちらの意図が分かりにくい部分がありましたので、その補足です。

形を描(えが)くよ - MBA-HACK2

全てにデメリットがあるので、優劣はない

上の記事では、以下の様な主張から始まります。

人間が本来持つシステムにはデフォルトで「現在」という時間軸を大切にするよう設定されている。しかし、「現在」だけを重視し、それに傾倒する人は、他の生物と同じく、目の前のことに邁進(まいしん)するだけになってしまう危険がある。

一方、以下の様なことも書いています。

皆様はどの重視するタイプでしょう。それとも、結びつけはしないで、ひとつの時間軸だけを重視するタイプですか。何が正しいという問題でもなく、自分のタイプはどれなのかというだけの話です。

さて、このような主張の意図は一体何なのでしょう。

つまり、何故、現在という時間軸を重視することに対するデメリットを述べているにも関わらず、何が正しいという問題でもないと言っているのはどういうことでしょう。この記事を読む限りでは、明らかに「今」という時間を重視することを下に見ている印象を受けるため、だとしたら、正しい結論があるはずなのに、なぜ最後に、それを否定しているのかということです。

これに関しては、実は、現在という時間の説明を重視してしまったために、他の時間、具体的には、過去や未来という時間の説明、デメリットを省略してしまったのです。

なので、真ん中の部分を抜かしてしまったという形になっています。

当然ですが、どの時間を重視したとしても、デメリットというものが考えられます。

したがって、結論としては、この件についてより優れた答えというものは存在しないと思います。

それを最後に説明しているものの、結論と主張が整合せず、説明不足といえるでしょう。

具体的には、①「現在」を重視すると、目の前のことで一杯一杯になってしまう危険がある、②「過去」を重視すると、例え統計が100%の確率を示したとしても、将来的にブレイクアウトする可能性はゼロではなく、その場合のリスクは大きくなりがちである、③「未来」を重視すると、描いたものが実現しないことも多く、かつ実現したとしても、それが他人に認められ、認識されるとは限らないこと、など考えればきりがありません。

したがって、自分のタイプはどれなのか、または、この件に関し、自分に合うやり方を見つけていくことが一番重要になると私は考えています。

補足

「全てにデメリットがあるので、優劣はない」という考え方は正確ではありません。

ただし、伝えたいことは伝わると思いますので、特に気にしていませんが、この記事の目的は、不明確な部分をできるだけ明らかにするというものなので、この件について、徹底的にわたしの考えを明らかにすることにしましょう。

私は、状況において最適解が異なると言いました。これはつまり、過去、現在、未来のどれを重視すればよいかは、状況によって最適解が異なるという意味です。

そして、最適解が異なるというのは、デメリットなどの程度、つまり大きさが状況によって異なることを意味します。

最適解が在るということは、優劣が付くということでもあり、それはデメリットなどの大きさが違ってくることを意味するからです。

したがって、正確には、「全てにデメリットがあるものの、優劣はその程度によって異なる」というのが正しい表現であるといえるでしょう。

しかし、長い目で見れば、そして、立場を変化させることがないとするならば、優劣などほぼつかないだろうと私は考えていますので、このような表現、つまり、「全てにデメリットがあるので、優劣はない」になりました。

自分に合うやり方を見つけるメリット

では、自分に合うやり方を見つけていくと言うのは具体的にどういうことでしょう。

これについては、オリジナル小説に、そういう設定を書いた記憶があるので、設定を例に挙げて説明していきたいと思います。

あるところに、双子の兄弟がいました。その兄弟は孤児で、運良くある都市の実力者に養子として引き取られます。その実力者は個人的に孤児を引き取り、最初の1ヶ月だけ自ら教育を施すのですが、それ以降はほったらかしであることから有名でした。

ほったらかしと言うのは、たくさんいる子供が子供を教えるという形態を採っているのです。

更に、小学校へ行くか行かないかも自由に任せていました。孤児たちを引き取る実力者の名前はユウジと言い、ユウジは言います。「学校は行きたかったら行ってもいいが、行きたくなかったら行かなくていいよ」と。この都市の小学校は世界的に見てトップレベルの教育だと言われているにも関わらずです。

引き取られた孤児達は、日々、自分たちのやりたいことをやって、それぞれに得意分野を伸ばしていきました。そして、自らの得意分野を持って、幼い頃から講義(ユウジの家で毎日行われる自由参加の教室のこと)を担当していました。しかし、週に一回だけは、強制参加、番号順の発表会が開かれました。しかし、これがこの家で唯一の強制であり、後は自由でした。

ここで、その家のナンバーワンの実力を持ったのが双子の片割れであるシロでした。反対に、一番ビリであるのが双子のクロでした。

シロは最初の1ヶ月間に行われるユウジ(家の管理者)の授業を完璧に理解し、ライバルたちを初日からドンドンと引き離していきました。他のライバル達は、授業の内容を半分理解できた者でさえ、第二位でした。

授業では、主に法、投資、コンピュータに関するユウジの考え方と、その者の手法が説明されました。

そして、最初のうちは、実力者であるユウジの手法をいかに正確に再現するかというもので勝負が決まるのでした。そして、これを一番上手くやったのが、シロでした。

シロは、なんでこんな簡単なことがみんなできないのか、非常に疑問を感じていました。ただ、一つだけ引っかかることがあったのですが、あえてそれを無視していたのです。

ユウジは、自らの手法を公開しましたが、最後に、最も大切なことだと言って、こんな一言を述べていたのです。

「最後になるが、これまで俺が教えてきたことはすべて忘れること、それがもっとも重要だ。各自、自分のやり方を見つけ出し、それをアップデートしていく事こそ、一番俺が教えたかったことなので、俺のやり方を参考にはしても良いが、それを絶対だと考えてはならない」

時がたち、結果だけを見てみると、ナンバーワンだったシロと最下位だったクロはいつの間にか逆転していました。

何故なのかというと、シロは、当時の最高実力者であった人物のやり方を真似することしかできなかったからです。反対に、クロはしっかりと自分のやり方を確立していました。

時代は代わり、状況も変化していきます。したがって、当日使えた手法がいつまでも使えるとは限らないのです。

ここで、どうやって状況に対応するのかというと、自らで考え、手法をアップデートしていかなければなりません。

しかし、シロにはそれができなかったのです。何故かと言うと、シロが使っていたのは、他人の手法であって、それを一から作り出すことも、アップデートすることも不可能であったからです。

この時を持ってはじめて、シロは、ユウジの授業で唯一、理解できなかった最後の言葉の意味を理解することになるのでした。

おしまい★

このお話の教訓は、「いつまでも同じやり方が通用するとは限らない」ということです。

そして、「未知の状況に対応するには、自分に合ったやり方でないと難しい」ということです。

もちろん、このお話で言いたいことはそれだけではありませんが、この記事で言いたいのは、それだけなので、これで終わりたいと思います。

補足

ちなみに、この設定やキャラはだいぶ前からあったものですが、表に出したのは、凄く最近です。

あと、シロとクロというのは、色を表していますが、特に深い意味はありません。

よって、シロとクロが逆の立場でも成立します。最初にシロのキャラを思いついて、続いてクロを思いついたので、出生順で、シロが兄となります。

個人的な考え方とタイプの問題

未来というものは、それがどうなるのかは分かりません。

たしかに、過去の統計などからどうなるかを予測することはできますが、それが100%の確率を算出したとしても、当たるとは限りません。

なぜなら、それは未知の状況であり、未知の問題だからです。

そして、私達が解決していかなければならない問題も、おおよそ、未知の問題だといえるのだろうと私は考えています。

なぜなら、既知の問題は、それを解決する意味は希薄であり、容易だと考えられるからです。

例えば、作品の感想を書くとして、その作品内で表現されている事実を説明し、それを評価するというのは、そこそこ面白くはあるものの、やっぱり私にとってはそれほど面白いものではありません。

なぜなら、それは既に在るものだからです。

在るものの答えは、割と簡単に見つけられますし、見つかります。これは、言ってみればこれは既知の問題だからですね。

このような考え方をする思考経路を分析すると、当たり前ですが、私は未来という時間を非常に重要だと考えていることが分かります。

したがって、私は未来重視タイプっぽい思考をする感じだなぁと思っています。

上記の考えは、正しくもあり、間違いでもあります。

具体的には、「既に在る」との評価は人それぞれ異なるものだと考えられますし、そんなものは存在しないと評価する人もいるでしょう。

そして、何を面白いと思い、面白くないと思うのかも、人によってそれぞれです。

ここで、このような評価を隔てる区切りとしては、私はタイプと読んでいるものですが、それを、このようなタイプの違いと表現するしかないのです。

そして、この記事で理解して欲しいのは、このような区切りや指標のようなタイプで分ける考え方は、この記事で言いたいことの本質ではありえないということです。

私は、単に、伝えたいことを分かりやすい形で伝えるために、これらの分類のようなものを示すことがありますが、言いたいことは別にあります。これは、常にあると思ってもらって構いません。