phoenix-power『異能バトルは日常系のなかで』の感想です。

01話

初回は、能力の発動と能力自体の紹介になりました。

能力がとても面白そうで、更に、キャラの特性がはっきりとしているので、面白そうです。

血液型

このアニメは、キャラクターの性格が非常に分かりやすく血液型で決められているように思います。決められているというか、参考にされているということですが。

そして、わたしが気になっているキャラも分析通りとなっています。

鳩子はO型です。そして、私は、O型キャラを好きになることが非常に多いのです。

例えば、けいおん!の平沢唯とか平沢唯とか平沢唯とかですね。私は、全部の中で一番好きなキャラが平沢唯なので。

しかし、ここは少し感情的になって自分の思いを書き出すと、「なんでみんな、鳩子を好きじゃないんだろう?」という疑問が浮かびます。

確かに、人の好みは人それぞれです。それは頭では分かっているんですが、自分の気持ち的には分かっていません。はっきり言うけど。そして、このような感情は、私の精神年齢が低いから起こりうることだろうと思っています。私は幼稚なんですよ。本当のところを言うと。

私にとって鳩子以外は眼中に無く、それ以外のキャラを好きになることは絶対にありません。

したがって、他のキャラを好きな人の気持ちがわからないのです。

しかし、一応、自分なりには分析できていて、答えは出ています。

具体的には、血液型で言うと、O型とAB型、そして、A型とB型はタイプが間逆なので、惹かれ合う性質があるようです。

何故、逆のタイプが惹かれ合うのかというと、それは、自分に足りないものを本能的に補おうとするためだと言われています。

人というのは、完璧ではありません。だからこそ、どんな人間にも足りない要素があり、無意識的にそれを補う心理が形成されてしまうのだろうと思います。

自分に似てるキャラ

ここで、自分のタイプと真逆のタイプのキャラがわかりましたが、自分に似てるキャラ、共通点があるキャラは誰かというと、間違いなく姫木 千冬(ひめき ちふゆ)だと思います。

彼女はAB型で、その特徴というか傾向を備えていると感じます。

ただし、一つだけ違うのは、千冬は、AB型の裏の人格というか、一人の時の人格が表に出ているような気がします。

というのも、AB型の人間、と言うより自分は、外にいる時と一人でいる時は雰囲気が全く違います。

具体的には、誰かといる時、外に出ている時などは、基本的に無口で、冷たい態度、そして、合理的な態度をとり続けます。

しかし、一人でいる時は、一転して、とても甘えん坊で、子供っぽいというか、幼児っぽい精神状態になります。恥ずかしながら。

例えば、アニメで千冬が見せたように、お気に入りのぬいぐるみを本気でかわいがったり、「ヤダヤダヤダ、安藤を連れてっちゃヤダ」みたいなことを普通にやりますし、それが通常の状態です。

ただし、これは無理にやってるとか、意識的にやってるとか、そういうことではなく、自然に切り替わるので、これが自然状態なのだと思っています。

この点、どちらが本物かを決定しなければならないとすれば、多分、一人でいる時のほうが自然体なので、本物でしょう。したがって、私という人間は、どこまでも幼稚で幼稚な人間なのです。どうでもいいことだし、特に気にしてもいないことなのだけど、真実を言えば、そうなります。

そして、このような低い精神年齢の人というのは、通常、それほど多くのことを望んでおらず、単に、フワフワしたものをギュッとして眠りたいだけなのであり、恋愛的、性的なものを一切求めていない事が多いのです。

したがって、千冬が「安藤がいじめたー」と言って鳩子に駆け寄ったのは、納得できる場面ではあります。

というのも、鳩子が一番、甘えてもダイジョブそうな人間だからです。直感的に。また、雰囲気的に、フワフワしてそうだし、というのもあると思います。

このように、AB型の人間が一人の時にやりそうな行動を、千冬が外でやってる感じなので、おかしいなと思った部分はありますが、それでも、特徴を捉えていることに他なりません。

更に、千冬のネーミングセンスについても、とても興味深い部分があります。

例えば、千冬は、「苺(ミカン)」という名前を付け、最終的にミカンミカンという名前に決定しているギャグがありました。

このネーミングセンスについても、自分に似てるなと思いました。

具体的には、私は黒い猫だったら、シロという名前をつけることを考えたりします(飼ったことないけど)。また、実際に、私が世話をしているぬいぐるみのアライグマさんがいるのですが、私は「にゃーにゃー」と呼んでいます。猫じゃないのに、猫っぽい呼び方をしているわけですね。

これについては、特に深い意味はなく、単に何となくですが、このようなネーミングセンスは、似てるなと思いました。

まあ、千冬のことはどうでもいいです。個人的に気になるキャラではありますが、好きなキャラではないのです。というか、私は自分と同じようなタイプのキャラは嫌いです。はっきり言いますと。

いや、ツンデレとかではありませんので。本当に違いますので。

ツンデレ属性

ただし、ツンデレ属性が自分にあるかどうかというのは、非常に微妙な所ではあると思います。この場合は、千冬にもあるのかなあということなわけですが、ちょっとだけこの件を考えていきたいと思います。

さて、まだそれほど話は進んでいませんので、キャラクターを分析するのは結構難しく、これについては、個人的な事情から判断していくしかないので、ちょっとだけ私の話をしたいと思います。

私は、平沢唯とか、鳩子とかそういったタイプのキャラが好きです。

ただし、どちらが好きかというと、唯の方です。

なぜなら、多分ですが、唯には特定の好きな人がいないからだろうと推測しています。

反対に、鳩子は主人公に恋をしています。

そして、作品の主人公というのは、多くの場合、視聴者の代替だと考えられます。つまり、視聴者は主人公の立場になって、物語を共有していくわけですね。

この場合、私は結構困るんですよ。

私は、「自分が好きなのはいいけど、好かれるのはあまり好きじゃない」という属性を備えているような気がしているからです。こういうのを表現した言葉は、「恋されるより、恋したい」でしたっけ。ちょっと違う気もするけど。

ここで、例えば、「あずにゃんと恋人になった…」という夢を見た人が書いた記事を読んだことがあるのですが、私も「平沢唯と恋人になった…」ところを想像してみたことがありました。

しかし、これは、色んな意味でつらすぎました。

私は、平沢唯というキャラに対して、恋人要素とかそういうのではなく、憧れ要素が強かったからです。

更に、私は他人にベタベタされるのも、本当に嫌いで…。

まあしかし、自分を騙し、相手に合わせることはできますので、相手が喜びそうなことを読み取って、それを実行することはそれほど難しくはありません。しかし、これについても限界がありますし、私の心は表向きとは裏腹に、めちゃくちゃ冷えきっていくことが想像できます。

ということで、平沢唯に好かれる自分を想像すると、平沢唯のことを嫌いになってしまいそうなので、すぐに止めてしまいました。

といっても、平沢唯のようなタイプの人間が、自分のようなタイプの人間を好くということまずないだろうとも思っていて、なぜかというと、私は冷たすぎるのです。反対に、平沢唯は、あったかくていいですね。

それに、私は、平沢唯が好きなタイプも把握していて、そういった人間はたくさんいるので。

こういうのってツンデレっていうんですかね。よく分かりませんが、もしこれらの要素が本当だとすると、千冬も自分が好かれないことくらいわかってるのかもな、とか考えてしまいました。

好き

好きになるキャラって、人によってそれぞれですよね。しかし、私は、好きという感情は、共通点と相違点から分析可能だと思っています。

ここで、分析可能というのは、言葉で表現しやすいくらいの意味であり、感情を正確に表現することは難しいので、いくら分析しても、こぼれ落ちていくものが多いと思うのですが、それでも、全く意味が無いというものでもないと考えます。

ということで、共通点と相違点から好き感情を分析していくと、共通点を優先するタイプと、相違点を優先するタイプに分けられます。

私は、相違点、つまり、自分と異なるタイプを好きになる傾向があることはお話しましたが、自分と同じタイプを好きになる傾向が強い人もいるわけですね。

ここで、人気がでるキャラと、出ないキャラがいますが、これも血液型によってある程度、説明ができます。

一番人気になるキャラは、主人公であるか、登場回数が多いという要素以外に、O型が多いという傾向があります。

何故かと言うと、O型というのは、すべての血液型に含まれているからです。

実は、血液型の分類は、O型以外にどの属性が付属しているかで判断されますので、すべての人はO型を持ちます。例えば、A型なら、A型とO型を持ちます。

したがって、O型は、すべての人に好かれやすいようにできているわけですね。何故かと言うと、他の血液型との共通点が少なからずあるからです。そして、それが標準の設定であるからだと考えられます。

血液型の乗り換え先

個人的には、現在、キャラクターを血液型で分析したり、説明したりすることが多いわけなのですが、いい加減うんざりしてきているのも事実ですし、いい乗り換え先、ないかなーと考えてたりします。

血液型よりも面白く、正確で、分かりやすい分析手法というか、分類手法があれば、既に乗り換えてるわけなのですが、これがなかなか見当たらないわけですよ。

今回は、少しだけこういった事情について書いていきたいと思います。

なぜ、血液型はけっこう長持ちしてる手法なのでしょうか。

例えば、IT分野に関しては、発達速度が速いため、iPhoneからAndroidに乗り換えたり、WindowsからMacに乗り換えたりする人も多いように思います。もっと詳しく言うと、プログラミングと呼ばれる分野に関しては、非常に乗換えというか、流行り廃りが激しい分野でもあります。例えば、JavaScriptが流行ったり、jQuery、TypeScriptに移行したりなどです。

しかし、私の中では、血液型占いに関しては、結構長持ちしている印象があります。

これは何故なのかというと、面白さ、正確さ、分かりやすさの観点から、非常にバランスがとれたものであり、これを上回るものが、なかなか現れないからだと考えています。

しかも、一番大きいのは、未来を先取りしているからであると私は思っています。

例えば、日本という国で流行したものは、ある程度の時が経ってから世界で流行する事が多いです。未来を先取りした国と言いましょうか。そんな側面があるのではないかと思っています。

具体的には、絵文字が日本で流行していた頃には、見向きもされないものでしたが、今では世界的にブームを巻き起こして一般化しています。また、寿司という料理についてもそうです。これは分かりやすい例えなので、詳しくは説明しませんけど。

つまり、役立つもの、良い考えなどが、すぐに取り上げられ、流行するとは限らないということです。

ここで、私は、日本の血液型占いは、ある意味、未来を先取りしたものであり、将来的に、世界ブームになるかもしれないなと思っています。

このように考える理由は、「結構使えるから」に他なりません。

なので、乗り換えたいけど、乗り換えられないという状況が続いていたりするのかもしれません。

中二病

千冬が中二病を発症したくても発症できないタイプだと言いましたが、何故でしょう。

それは、中二病というのは、多くの人が考える共通認識なのですね。

なので、多くの人が痛いと思える思想というのか、そういったものが中二病と認識されるわけであり、数少ないAB型が考える痛い思想というのは、必然的に数が少ないわけで、中二病には成り得ないのだと思います。

したがって、もし、千冬タイプの人間が多くを占める世界では、もしかしたら、中二病を発症できたかもねということになると考えられます。

最強の異能

私は、ワールド・クリエイト推しですので、最強の異能はワールド・クリエイトだと思っています。ワールド・クリエイトは、創造使いとします。

時間使いは、時間操作不可の空間で戦えばよいし、または、宇宙空間に飛ばしてしまえばよいです。ただし、これらは先制をとるのはどちらかによります。しかし、ワールド・クリエイトで防御を常にはっておけば対策できます。

属性使いは、無属性魔法、つまり重力で押し潰せば良いです。ちなみに、私が考える無属性は重力。巨大な隕石を呼び出します。属性攻撃でこれらを防ぐことは難しいのではないかと考えます。更に、隕石を防ごうとしている時に、空間移動して、攻撃することで、勝利は確実です。

奪略使いは、空間移動して、攻撃することで勝てそう。というのも、奪略魔法は、自身が対象となる攻撃のみに有効だと考えられるからです。時間使いの異能を奪った時のことを考えると、そんな感じだと思われます。

原始使いは、まあ、普通に勝てるでしょうね。

よって、普通に考えると、ワールド・クリエイト最強説。ただし、想像力と戦略次第という点は、他の異能と変わらないと思われます。

感想の方向性

今回は、一応、自分の内面的なものを書いたりしてみたのですが、私は、確かに、分析的なことも書きますし、その答えを提示することも多いのだけど、内心としては、「鳩子、暖かそうー」ということくらいしか考えてなかったりします。

したがって、私のようなタイプの人間の外面に騙されてはいけません(笑)。奴らは、思ってる以上に子供、というか幼児属性が付いてるのですよー。

そいういえば、私が心理テストやると、1問で判定するタイプの心理テストでは、いつも精神年齢が最高齢なのだけど、複数の問題で判定するタイプの心理テストでは、一番低いと診断されるので、複数回答の心理テストはなかなかすごいのかもしれない…。

このアニメに関して言えることは、とにかく鳩子、鳩子が一番可愛いです。みんな鳩子のことが大好きなのです。

02話

生徒会長の失恋エピソードというか、勘違いエピソードでした。

ここで、主人公の態度がはっきりと打ち出され、今までのハーレムアニメとは少し違うというところをアピールします。

この目論見は、おおよそ、成功だといえるでしょう。

ただ、生徒会長、かわいそうでしたね。一応、最後にフォローされてはいますが…。

個人的には、能力をもっと見たかったです。

面白かったのが、怒りの行動がそれぞれに違ったところです。嫉妬というか。

シカトしたのが、O型の鳩子とAB型の千冬です。反対に、言葉攻めしたのが、B型とA型です。私が読んだ血液型の本にはですね、嫉妬における行動では、A型とAB型は相手に怒りをぶつける傾向、O型とB型は本人に怒りをぶつける傾向があると書かれていましたが、怒りの行動においても、何かあるんでしょうか。

これについては、私は認識していませんでしたので、面白い視点でした。

友達と喧嘩した時、シカトする傾向にあるのがO型とAB型。罵声浴びせる傾向にあるのがB型とA型なのかもしれませんね。まあ、その人の性格によるんでしょうけど。

03話

大半は、ギャグ回という感じでした。

しかし、後半は、主人公の過去エピソードというか、鳩子を助けた時のエピソードが語られたり、異能についてよく考えているところが語られたりしました。

また、初回に木にぶら下がって、何らかの異能を発揮していたかもしれないキャラの正体が明かされます。

彼は、どうやら灯代の兄のようで、文芸部のOBに当たります。多分、ハーレム、ギャグ要素が停滞してきたら、中二病、能力要素を追加する意図で重要になるキャラクターではないかと思います。

今のところ、ギャグ要素、中二病要素のどちらにも対応しているキャラのように感じられますが、今後はどのような活躍を見せるのか分かりません。

つまり、灯代の兄のようなキャラは、このままギャグ系でいくにしても、バトル系に転換するにしても使えるキャラということです。

04話

千冬のエピソードが始まりました。

前回の後半の方はとても唐突でしたので、いくつかの展開を分けてあって、視聴者の反応によって順番を入れ替えたりしているのでしょうか。

個人的にはあまり面白くなかったです。

このアニメに関しては、私は、もっと能力バトルを見たいのかもしれません。

鳩子は相変わらずいい感じで、千冬の甘えん坊に付き合ってあげていました。やさしいですね。

反対に、千冬は、思った通り腹黒い一面が出てました。

これをマイナスに捉えるか、プラスに捉えるかで評価は分かれそうです。

個人的にこれはプラス要素かなと思っています。私は、腹黒いキャラは結構好きだったりするのですね。ToLoveるのモモとかお気に入りですし。

で、何故腹黒い要素が好きなのかというと、自分が腹黒いからかもしれません。

この辺は、前に言ってたことと矛盾するのですが、自分が好きになるキャラというのは、相違点と共通点があってはじめて成立するものだと私は分析しています。

この点、前回は、この比重でどちらが重いのかという話をしていて、私は、相違点というか、自分のタイプとは真逆のタイプを好きになる傾向があるという話でした。

しかし、真逆のタイプと言っても、すべてが真逆というわけではなく、中には、自分と平沢唯の共通点みたいなのも数個思いつきます。

例えば、車酔いしやすいとか、食べても体重増えないとか、アホな子とか、夏休み中ゴロゴロしてるだらしないところとか。

さて、腹黒いキャラが好きな私ですが、千冬のどの辺が腹黒いのかというのと、その心はどんな心境なのかというのをちょっとばかり解説していきたいと思います。解説というか、分析なわけですが。千冬というのは、割と自分に似たタイプなので、心を読みやすいというか、心情を解説しやすいというか、そんな感じです。

といっても、違うタイプでも割と分かると思うことが多いのですが、説明が難しいというか、やっぱり、自分と似たタイプのほうが説明が楽なので。

千冬の話ですが、千冬は、割りと勘が良いというか、そんなこんなで、主人公の気持ちとかもわかってるんだろうなと私は考えています。

主人公の気持ちというのは、主人公である安藤は、自分のこと好きにならないというか、好きじゃないし、恋愛対象じゃないというのを察しているということです。

ここで、千冬は、「どうせ恋愛対象じゃないなら、いいように使ってやる」みたいな気持ちがあって、それが上手くいった時に出てきた言葉が、「安藤はチョロい」みたいな言葉だったと考えられます。

ちなみに、千冬は、普段無口なタイプだと推測しますが、自らの試みが成功した時だけは、感情が高ぶって(悪い方向での昂ぶり)、あまり良くない言葉を吐いてしまう癖があるように思われます。

ここら辺の言葉だけを読み取って、腹黒いキャラだと思われがちですが、腹黒いキャラにも、腹黒いキャラなりの感情があって、それが元になって、表に現れているので、私はそれだけで嫌いにはならないな―と思います。

そうは言っても、これは良いことではありません。先程も言いましたように、「安藤はチョロい」発言等、今回は、千冬タイプのキャラの悪い方向での感情の昂ぶりが描かれていたように感じます。

しかし、私個人としては、完璧に良い子ちゃんのキャラより、悪い感情でも良いので、感情を出してくれるキャラが好きだったりするので、腹黒いキャラは、割と好きなんですよね。

と、なぜか、千冬関連の話をするときだけ文章が長くなってしまいがちですが、鳩子は、ストレートで分析するまでもないように感じられるため、余り書くことがないとも言えます。

鳩子のようなストレートで、まっすぐで、裏表のないキャラはとても好きなので、本当は、色々と語りたいのですけどね…。

というわけで、今回はここまで。

05話

お話も安定してきた感じで、とても面白かったです。今回は、灯代(ともよ)回です。といっても、個人的には、前回がつまらなすぎたので、やっぱり私は、千冬があまり、と言うか超絶に好きではないらしい。

さて、今回メインの灯代は、B型キャラですが、こちらも、私がイメージする典型的なB型タイプだったため、灯代の行動はすべて想定済みでした。

ここで、私が考える典型的なB型タイプというのは、どういったものでしょう。

これはアニメの中に限った話なのですが、B型には二種類のタイプがあり、一つは得意分野を持たない人、二つは得意分野を持つ人です。具体的に、前者は、クラナドの初期の風子(ふうこ)ヤマノススメの初期のあおいが挙げられます。後者は、血液型が紹介されていないため、確定ではありませんが、とある科学の超電磁砲御坂 美琴(みさか みこと)俺の妹がこんなに可愛いわけがないきりのが挙げられます。

何となく、似てると思いませんか。

自身が誇る得意分野を持つB型さんというのは、①中二病を発症しがちであり、精神年齢が少年、少女であること、②世間的には普通を装っているが、内に秘めた大きな野望があること(つまり、恥ずかしい黒歴史的なものを所持していること)、③ツンデレであり、恥ずかしがり屋であるが、内面では、人一倍純粋であること、などの傾向が読み取れると思います。

上記傾向を読み取ると、灯代は、御坂美琴、桐野にどこか似てると感じませんか。私は、似てると感じましたし、実際、このタイプに分類しているのが、灯代だったりします。

さて、今回面白かったのが、主人公である寿来(じゅらい)のタイプと、灯代のタイプの比較です。

寿来はO型で、O型の特徴は、裏表のない人です。したがって、中二病を恥じることなく堂々とやってるのが、寿来ですが、一人で隠れてやってるのが、B型で恥ずかしがり屋の特徴を持つ灯代というわけです。

例えば、平沢唯もO型ですが、唯には以下のような名言があります。

あずにゃん:こんなの、こんなの私じゃなーい。

ゆい:あずにゃんは、あずにゃんだよ。

これが何をあらわしているのかというと、AB型のあずにゃんは、表で見せる自分というものがあり、そのイメージが固まっているわけです。具体的には、しっかりもので、練習熱心な自分というイメージです。しかし、けいおん部の緩い空気があずにゃんを侵食し、知らないうちに、この空気に自分が影響されていることを自覚し、「こんなの、こんなの私じゃなーい」と言います。

これがあずにゃんの心情なわけですが、ゆいの心情は違います。なぜなら、ゆいはO型で裏表のない人だから。

だから、表に出てるあずにゃんも、その他のあずにゃんも全てあずにゃんであり、「私じゃない」というあずにゃんの言い分は理解不能なわけです。

ここで、裏表のない人なんていないという考えも間違いですし、表に出てきた全てがその人だという考えも間違いであることが分かります。

このような考え方の対立は、結構、日常茶飯事で起こっていることだと考えられ、私自身も観測する所ではありますが、ほとんどの人は、自分しか見えていないので、間違えるわけですね。

あずにゃんが、「こんなの、こんなの私じゃなーい」と言った場合、確かに、あずにゃんの中では、それは自分ではないのです。自分を決めつける自由くらいは、その人に認めてあげるべきと私は考えるからです。

反対に、ゆいの言い分も間違ってはないのです。単に、自分の中野あずにゃんをポツリと言っただけですからね。自分の中の他人を決めつける自由も認められるべきです。なぜなら、内心は自由なのですから。

じゃあ、自分はどちらの考え方が好きなのかというと、私が好きになるタイプは、前にも言いましたが、ゆいタイプです。ただ、自分のタイプがどちらのかというと、多分、あずにゃん側ではないかと思っています。

といっても、私は、分析はするし、事実は述べるし、真実は突き止めはするのだけれども、この件についてもさほどの感情的な思い入れがあるわけでもなく、何か考えているというわけでもないので、主観論、感情論で言えば、「特になにも」とか「何も考えてない」とか言った表現が適切なのかもしれませんね。

意味分からない?確かに、そうかもしれませんね。

したがって、この件について少しばかり解説を加えるとするならば、どっかで書いたと思うのだけど、感情的な感想を読むのが好きなので、私も感情的な感想を少しでも書いていければと思っていて、それを実践してる、という感じですかね。(しかし、やっぱ書くことないなぁ。何も思い浮かばん…。

話がかなり脱線してしまいましたね。

何の話をしていたかというと、裏表のない寿来と裏表のある灯代の心理を分析すると、けいおん!でのあずにゃんとゆいのやり取りが参考になりそうだったので、それを提示したのと、結論として、自分を決める権利、相手を決めつける権利はその人に認められているので、こういったやり取りを見てると面白いということです。

何が面白いのかというと、微妙にズレてるからなんでしょうね。二人のタイプが。しかし、お互い中二病を持つため、共通してる部分もあって、話があったりもする。こういうのが面白いと感じます。

ここで、少しばかり部員の中二病タイプを見て行きたいと思います。

名前 血液型 タイプ
寿来 O型 真性の中二病。中二病をカッコイイと思っており、カッコイイものを表に出して何が悪いと考えてる。と言っても、じゅらいは、表とか裏とかそういった区別すらしてないのだけど、分かりやすさのため、表裏を社会、自分の中と区別し、表現することにします。恥ずかしいことなど何もないと考える。現実的に考えるし、能力にはそれほど重きを置いていない。心だ、気合だというタイプで精神重視。
灯代 B型 社会的な世間の目を気にする一方、内に秘めた中二病は抑えることができないタイプ。いや、抑える必要すらないと考えていて、他人に迷惑かけなければ自由で、何やってもいいだろうと考えてると思われる。中二病は痛いという社会常識は意識してるし、他人の目も意識してる。恥ずかしがり屋。能力を存分に発揮できる場所を心のなかで期待している。
鳩子 O型 中二病を発症していない恋する乙女。中二病を特に恥ずかしいとも思っていないが、自ら何かを演じることはないタイプ。余談だけど、A型とAB型は相手に嫉妬心をぶつける傾向があるが、O型とB型は本人に嫉妬心をぶつける傾向があるらしいと書いてあって、「ほー」と思ったことがある。特に能力を使いたいとも思わない。
彩弓 A型 世間的な目を一番に重視し、自分を抑えこむタイプなので、中二病は発症していない。他人のことを一番に考えるおせっかい焼きとして、A型の特徴が現れると予想してる。優しいが、厳しい一面もある。特に自分の言うことを聞かない人には厳しいタイプ。能力の使用は極力抑えると考えられるし、目立つのが嫌い。
千冬 AB型 中二病は発症したくても、発症できないタイプ。中二病には意味などないと内心思っている気がする。精神的なものを軽視し、実益、能力的なものを重視するタイプ。自らの能力は、便利であれば、日常生活での使用も躊躇がないという合理的な考えを持ち合わせている。周りは気にしないし、自分のことしか見ていないタイプ。

最後に、鳩子が二人のデートを見てしまったことに関する心情の考察をしていきたいと思います。

鳩子は、ショック受けてると思うのですよ。いつも一緒にいた幼なじみをとられてみたいに感じたのではないかと。

しかし、灯代に勝てるとかそいういうことは、考えないと思います。

だって、灯代はかなり強敵に思えますからね。というのも、B型の人って、熱意とかそういうのが基本凄く高くて、私が一番敵対したくないタイプってかんじですもん。

そういうのも、鳩子はわかってるのかもしれないなと予想しています。

ただ、気になるのが、OPで鳩子が灯代に送る視線というか、そんな感じのものが気になるというか。

あれは、どういった意図でのものなのでしょうか。

考えられるのが、羨ましいという視線、敵だとする視線、好きだという視線(可能性はかなり低いですが)、などが考えられると思います。

それとも、鳩子は灯代のラノベのファンなのかもしれませんね。鳩子はずっと携帯いじってましたし、あの時とかもラノベ読んでいたのかもしれないとか思ったりして。だとすると、ファンの好き視線はありえるのかもしれない。

06話

今回は、個人的にあまり興味が無い高梨 彩弓さん、A型さんのエピソードでした。

A型さんの特徴というか傾向として書かれているのが、完璧主義です。

完璧主義について、高梨さんは、完璧は不可能だけど、それを目指していきたいということでした。

確かに、完璧を目指すことは悪いことではないように思われます。しかし、それを目指す人というのは、他人にもそれを求めてしまう傾向があると私も考えていました。その点で、今回のお話は、非常に、完璧主義タイプの人間の特徴を捉えているお話だと思いました。何より、分かりやすい。

ただ、個人的には、完璧主義の人よりも、実行主義の人のほうが、私は歩みが速い傾向にあると考えています。

最初こそ、完璧主義の人の成果が目立つものですが、完璧でなくても、とりあえず表に出し、評価され、修正し、また出すということを繰り返す実行主義の人に、いつの間にか抜かれているという状況を、私は、何度も見たような気がします。

しかし、どちらのタイプも一長一短です。将来的に生き残る確率が高いのは、間違いなく実行主義といえるでしょうが、これは、というか人のタイプというのは人間の本質に関わる分野です。なので、このような議論はあまり意味がありません。

詳しく説明すると、例えば、Appleが完璧主義、Googleが実行主義と言われています。ここで、未来において、より成長している、というか実力を伸ばしている企業はどちらだと思いますか。例えば、OSで考えてみてください。私は、間違いなくAndroidのほうが便利なものになっているだろうと予想しています。そして、多くの人は、何となくこういう雰囲気を感じ取っているように思われます。

次に、タイプの話をしていきたいと思います。私が考えるタイプというのは、本質の違いによって区分するものです。

では、本質というのは何でしょう。本質というのは、同じ環境下、状況下で導き出す結論の違いを言います。ここで、本質的な問題でない部分というのは、大体において環境や状況、例えば、立場などによって人は同じ答えを導き出す問題だと言えます。それは、Aという環境下では、人はBという答えを出すというような、一見して決まりきったものとなります。

しかし、本質が異なると、同じ環境下であっても、人は異なる結論を導き出します。

例えば、現在の憲法9条では、戦争を放棄していますが、ここで、改憲派か護憲派によって考え方が異なります。そして、これも人の本質に関わる問題だと考えられます。

真実を言えば、戦争というのは、「恐怖」という感情によって引き起こされる事が多いです。つまり、他国に殺されるかもしれない、または、他王に殺されるかもしれないという恐怖が人々を戦争に掻き立てる大きな要因となっているということです。

政治家や王は、今現在の地位を奪われたくないので、それが失われるという恐怖に耐えられないのです。権力や欲望というのもは、通常、それを満たせば満たすほど、失うことが怖くなり、死ぬのが怖くなるものです。したがって、自身の立場を脅かす可能性を出来る限り排除しようとするのが、多くの人間がデフォルトで有する思考パターンです。

ここで、政治家だろうが、王だろうが、単なる人間に過ぎません。そして、上記傾向は、単に、人間が抗えないものだと思われます。

さて、このような恐怖を打ち消す方法は、対抗勢力を駆逐する以外にありません。したがって、このような理由から戦争は繰り返されてきたものだと考えられます。

世界を平和にする、一つにする、人々を幸せにする、やられたらやり返せ、報復だ、などというものは、恐怖する人間が作り出した建前に過ぎません。本当は怖いだけなのです。そして、多くの戦争は、恐怖という一部権力者の自己中心的な感情によって引き起こされてきたと私は考えています。

ここで、戦争の一番の原因であるこの恐怖を敵に与えない一番効果的な策は何だと思いますか。

それは、戦争を放棄することだと思われます。あいつは、攻めてこない、安心だと思わせることによって、戦争に巻き込まれない確率を高めることができるのです。そして、この戦略をとってきたのが、現行の憲法9条だと言えます。

しかし、これはあくまで最善手に過ぎません。つまり、最善手を打ったからといって、必ず生き残れるというわけでもないのです。将棋と同じですよ。そもそも戦争の原因は様々です。それは、多くに恐怖という感情だと思われますが、支配によって引き起こされた戦争や怒りによって引き起こされた戦争もあるのです。

したがって、最善手をとり続けた場合、最終的には勝利や平和を手にできるでしょうが、それがいつになるのかという問題は、また別問題だと考えられます。

これは、つまり、マークシートの4問のうち、3問は正解が4番だと分かっているが、一つだけ違う正解が混ざっているみたいな感じのものです。ここで、すべて4番を記述すれば、3点は確実に得られるものの、確実に満点を得ることはできません。満点を取れないというのは、自分たちの世代がババを引いてしまうことがあるということです。

このような問題が出された場合、どうするか。人の本質によって導き出す答えが異なるというのは、イメージとしてはこんな感じのものです。

さて、ここで、完璧主義の人は、満点を目指すだろうと思われます。反対に、全部同じ番号で通す人もいます。

このように、「何が正しいかわからない」という状況下では、人の本質によって導き出す答えが違ってきます。

反対に言えば、人の本質を読み取れば、その人が最終的に導き出す答えがわかります。

そして、これは捻じ曲げることができないのです。

なぜなら、例えば、完璧主義の人を無理やりに実行主義にしたところで、良い結果にはならないということです。人の本質は変えられず、さらに言えば、たとえ変えたとしても、その人の最大値、最適解はあくまで本質に従ったものだけなのだと思います。この場合、完璧主義の人が到達しうる最大地点は、あくまで、完璧主義という自らの本質に従った時なのです。

じゃあ、私はどういったタイプなのかというと、私は、一瞬で人の本質を見ぬくことができると思い込んでいる中二病患者みたいなものですからね。

主観的に言えば、答えを出す人でしょうか。なんというか、ある問題について問われた場合、その答えが一瞬でポーンっていう感じで出てくるというか、そんな感じです。まあ、他の人も大体そんな感じなのかもしれませんけど。

で、私が書くことというのは、出てきた答えを自分が持ってる知識と結びつけ説明しているというか、単に分かりやすいように、読める形にしているに過ぎない事が多いのです。

なので、論理派ではなく、本質的には、答えを出す派というか、直感派なのだと思われます。

ここで、答えを出す派と直感派の違いは、感情的になりやすいか否かだと思われます。私は、あまり感情的にも感じることが少ないので、前者っぽいです。直感派の悪いところは、感情的になりやすいところかもしれません。反対に、論理派は、感情的にはなりにくいですが、頑なというか、答えに飛ぶことができないので、一般的に遅い印象がありますね。

また、完璧主義か実行主義かと問われれば、完璧も求めないし、適当だし、実行もしないので、ダメダメ主義っぽいです。ただ、実行する時もあるので、実行主義に近いかもです。

そういえば、人の本質は変えられないと言いましたが、人の本質が形成されるのは、0-7歳くらいまでの間だと私は考えていますので、それまでなら、自由に変質できるだろうと私は考えています。まあ、そうでなくても、子供になれば変えられると思いますので、自分が好きなものや性質を選びとるとよいでしょう。

ただ、本質というか、その人の核部分は、硬いほうが良いので、変えると言っても考えようだと思います。

イメージとしては、思考の核は固く、核の周りを覆っている部分は柔らかくするのが、コツというか、一番良いんじゃないかなと私は考えています。

ここで、周りが硬くて、核が柔らかいのが一番ダメで、両方硬い、若しくは、両方柔らかいのが2番めにダメだと思います。

だとすると、通常の子供、0-7歳は両方柔らかいのでやっぱりダメで、周りが硬いのに、本質だけ変質させ柔らかくするのはもっとダメだということができます。したがって、本質を変えると言っても、考えものだなと言いました意図はこの辺の理由からです。

しかし、変えた後に、それを固めていくというか、確固としたものにしていくのなら、良いと思いますね。時間かかりそうですが。

何の話でしたっけ。鳩子、可愛いという話だったかな。来週は鳩子の話なので楽しみです。どうやら、ヒロイン全員やるみたいですね。

07話

今回は、一言で言うと「鳩子がキレた」というお話でした。

まず、わたしの感情的な感想を述べるなら、怒りの鳩子、嫉妬の鳩子、だーい好きという感じです。全部の鳩子がとても好きです。

さて、非常に乏しいわたしの感情を言葉にするだけなのもあれですし、少しばかりお話の解説というか、分析に移りたいと思います。

お話は、寿来と鳩子のすれ違いという感じのものでした。具体的には、寿来は、過去の経験から鳩子が自分の趣味を理解できないし、分からないことを知っているので、鳩子をそういう話から遠ざけようとします。

昔なら、それでよかったと思われるのですが、昔と今では、状況が違います。

そして、状況を変えたのは、灯代の存在だと思われます。

灯代は寿来の趣味の良き理解者です。

したがって、ここで、鳩子の心情を分析するなら、「ずっと一緒にいた私ができないことを、ひょっこり現れた灯代ができるので、内心、とても焦っている」という感じでしょう。

確かに、客観的に見ると、鳩子がキレた言い分というか理由というのは意味不明です。

なぜなら、過去の鳩子自身が言っていたように、「人の好みは人それぞれ」だからです。わからないものは、分からないし、理解できないものは、理解できない。そこにキレてもどうしようもない。それは、鳩子が一番分かっていることでしょう。

ここで、「ぜーんぜん、理解できない!!」ってキレられても、寿来としては、「いや、それはわかってるって。お前も人の好みは人それぞれって言ってたじゃん」で終わりでしょうね。また、「別に理解できなくてもいいじゃん」です。

しかし、鳩子の心情としては、変な考えを持った寿来に、そして一番は、それを理解できない自分自身にキレたのだと思われます。

ここで、灯代の兄は、後者を強調していましたが、私はそれだけではなく、この場合は両方が原因なのだと考えています。

とてもシビアな考えですし、灯代の兄のように後者を強調したほうが、鳩子の良い所だけを抽出できるので、より良い解釈のようにも思えます。しかし、私は、そういったタイプではないので、たとえ鳩子推しであっても、鳩子の良い所だけを抽出し、解釈することはないのです。

さて、寿来にもイラついたが、本質としては、寿来の趣味を理解できない自分自身に一番イラついた鳩子がキレました。

で、その後、鳩子は、よく分からない状況というか、記憶喪失的な何かになって、灯代の兄と出会い、話を聞いてもらい、最終的に異能みたいなものをかけられて眠ってしまいました。

この辺りの状況としては、今のところ意味が分かりませんが、兄は能力者であり、能力者集団のボス的なものなのかもしれません。そして、何らかの事情から、鳩子が必要になって、魔法をかけたというところでしょう。

ただ、この辺りは個人的にはどうでもよくて、重要なのは、寿来の友人である静夢と灯代の兄が登場しましたが、その対比です。私が見たところによると、二人は相反する性質というか、タイプが真逆のような気がしました。物語の中心にいたい者と、物語の傍観者でいたい者。

物語の中心で居続けたい者としては、主人公である寿来もそうですね。ただ、主人公と灯代の兄も割と正反対の性質が明らかになってくると思います。

具体的には、真面目な主人公と適当な灯代兄という感じですかね。

主人公は、異能について真面目に、平和的に、日常的に、秘密裏に考えていますが、灯代兄は、それとは真逆で、適当に、破壊的に、非日常として楽しむという感じがします。

一応、鳩子がキレた時にどうすればよかったかを書いておきたいと思います。

個人的には、この場面では、けいおん!の平沢唯、またかと思われるかもしれませんが、唯の戦法が役に立つと思います。唯には以下のような名言、というか名動(名だたる行動のこと)があります。

あずにゃん:全然ダメですー。皆さんやる気が感じられません。部室にあるティーカップも全部撤去すべきです。これが落ち着いていられますかー。

ゆい:いい子いい子(なでなで)

一同:(そんなんで{怒り}がおさまるはずが…)

一同:(おさまったー)

あずにゃん:先ほどは、取り乱してすいません…

これは、あずにゃんがキレた時の話です。唯の包容力で抱きしめて、なでなでしてあげればすぐに解決しました。

唯のこういうところが好きで、結構すごいと思うのですが、唯は、色んな子を抱きしてめてます。ただ、唯って、与えるだけで、受け取ってない子だなと思うのです。唯はいろんな人抱きしめてるのに、唯が抱きしめられてるところは見たことない…。まあ、本人は落ち込んでるわけでも、抱きしめられたいと思ってるわけでもないんですけんどね。しかし、唯は、自分がやってもらって嬉しいと思うことを他人にやってるだけなので、やられたら嬉しいはずだと思うのです。ただ、そうした場合、熱くなりすぎるかもですが。これはこれで危険。でも、好き。

はっ!

いつの間にか唯の話になってしまったわけですが、ここで言いたいのは、鳩子がキレた場面で、主人公は、鳩子を抱きしめて、いい子いい子してあげればよかったのかもね唯みたいに、と思った次第です。

唯の男子力、半端ない。いや、女子力か。はたまたに人間力かもしれませんが。

といっても、ストーリーとしてはそれは意味不明なので、ないですね。鳩子キレた、主人公、呆然というパターンが一番自然ですし、良いと思う。

まあ、作品ではなく、適切な行動としてどうすればよかったのかというと、唯力を発揮すればよかったんじゃないかなという感じ。

ちなみに、鳩子と唯は似てるタイプなので、皮肉な所だけど、かわいい子は、間違うことはないっていうのも違うし、かわいい子は、悪いことをしないというのも違うと私は思っています。可愛いは正義って言われることも多いけど、私はこういう考え方はしないのですね。

かわいい子でも、間違うし、悪いこともする、そう思っているのですよ。自分が好きな鳩子もそうです。今回キレたのは、鳩子が悪いなーと、そう思っています。

したがって、以下の様のようなつぶやきが生まれるわけです。

08話

異能バトル、戦争が本物だったことが明かされます。

ラノベの感想でも書いたのだけど、桐生 一(きりゅう はじめ)というキャラでは、B型要素が色濃く描かれていた話でしたと思います。(この前、ラノベを読みました

ラノベの方ではアニメよりも詳しく書かれていたわけなのですが、ハジメは、根っからのあまのじゃくなキャラです。

リーファがわざわざ遠回しにFのことを説明したのもハジメの性格的問題があるからでした。しかし、ハジメにその意図を見ぬかれてしまいました。

これは、ハジメには、主人公補正のようなものがかかっているため、ハジメの本質を見抜いて利用しようとしたリーファが逆に利用され、暴かれるという展開になっているのだと思われます。

ここで、B型というのは、あまのじゃく的な性質があり、やれと言われたら、やりたくなくなり、やらんでいいと言われたら、やりたくなる傾向があると言われています。

したがって、ハジメのキャラは、その辺が分かりやすく描写され、設定されているように感じています。

アニメでは、後半、日常パートに話が移ります。

鳩子と仲直りしたジュライは、ポテチの袋を開けようとして、突然、覚醒したと言い出します。で、覚醒した異能を発動した途端、叫び出します。

文章にしてみると、意味不明ですね。私もそう思います。

私はこういったギャグに弱いので、つい爆笑してしまいましたが、ジュライが叫びだしたのを見て、「一体、どうした?なにがあった?」という言葉が漏れてしまいました。笑いながらだけど。

この辺りの展開は早すぎて、早すぎるように思います。ちなみに、いつも2倍速で見ているのですが、それは関係ありません。だって、他の展開は別に普通ですし、結構早い展開のものにもついていけていますから。

仲直りの握手、ポテチの袋開けようとする、異能が覚醒する、覚醒した異能を使おうとする、突然本気な感じで叫び出す、というこの流れは、早過ぎるというか、割りと意味不明な感じで面白かったです。これ、明らかに自然な流れではないよね。

それ以外、日常パートでは、鳩子以外のキャラの嫉妬的な感情が描かれているようにも思いました。千冬のポテチ開けてーとか。

ただ、鳩子の場合、前回でそういった部分が描かれていたので、今回は無かったように思います。

いよいよ恋愛バトル、突入かと思わせるひとコマでした。

09話

ラノベを読んだので、ある程度話の流れは理解できていますが、初めての人は、混乱するだろうなと思いました。話のバラバラ感がすごい。ただ、かなり原作に追いついてる感じでした。

さて、原作の話は置いといて、前の感想でB型に厳しいことを書いてしまったので、少しだけ個人的な考えを説明しておきます。

まず、私は、血液型占いなんて、とんでもなくバカバカしいものであり、こんなのは真に受けるものではないなと、基本的には考えています。言ってませんでしたっけ?

じゃあ、なんで異能バトルに関しては、血液型の話を持ち出してくるのかというと、それは、血液型占いは、信じるべきものでもないが、疑うべきものでもないと考えていたりするからなのですよ。

そして、私はというと、このようなスタンスに立つ事が多く、否定することから入るよりも、受け入れることから入ることが多い気がします。

ということで、血液型占いに関しては、受け入れてはいるが、信じてもいないという感じです。

ただ、個人的な事情を加味するならば、役に立ったことがあるという意味では、一定に評価していたりするのもの事実であったりします。

これは、もう2, 3年ほど前で、かなり昔の話になるのですが、私は、血液型の本を読んだことがありました。

で、そこで思ったのが、どのようなタイプにも欠点があり、自分の場合は、かなり当てはまっていたのです。

しかし、このような確固とした特徴は、当時、自分では全く気づいておらず、血液型占いは、問題に気付くことができる点で役に立つなと思いました。

今思うと、多分、意識しなければ、一生気付くこともなかった特徴に気付くことができたのは、幸運でした。何もかもを否定から入り、科学的根拠がないなどというわけのわからないことを言ってたら、多分、改善の余地もなかっただろうと思います。

この点で言えば、たしかに、B型タイプの人はかなり不利な位置にいると思われます。

なぜなら、その本で書かれたB型タイプの特徴は、「確固とした特徴を決められるのを何よりも嫌う」というものだったからです。

しかし、私は、この件については、身体的な特徴と同じように考えています。

確かに、確固たる特徴というのは、一般的にはマイナスイメージで捉えられていることが多いような気がします。具体的には、決め付けんなよとか、人は変われるんだとか、色々な側面があるとか、そう言った批判にさらされることが多いということです。

しかし、確固たる特徴にも良い面はあります。

ここで、確固たる特徴の最大のメリットは、「相手を認めることができる、受け入れられる」という点です。

他の身体的特徴、例えば、黒人、白人、女性、男性などというものがありますよね。そして、このような身体的特徴を有する人を無条件で受け入れる考えは、世の中で浸透しています。反対に、犯罪者などには厳しい考えが多いです。

この間を隔てる違いは一体何なのでしょう。

一つは、「身体的特徴は、生まれながらに有する、個人の努力では変えられないものだから」というものです。

したがって、人々は、人々の身体的特徴の違いには、割と寛容です。

これは、生まれ持った性質だから仕方ないよ、個人に責任はない、などのそういった理由から来るものだろうと想像できます。

したがって、決まりきった確固たる特徴というものも、悪い面ばかりではなく良い面もあるということは理解できることかと思います。

そして、私は、肉体と同様、精神においても、変えようのない、生まれながらに有する、決まりきった特徴があると考えています。そして、これは、何も悪いことではないと思っているのです。

血液型占いも、確固たる特徴の一つです。血液型で性格が決めつけられるわけですから、当然です。

ただし、これはあくまで傾向であり、確実に決めつけられるというわけでもなく個人差があるとされているものですが、決め付けなければ何も書けないのであり、ある程度は、決められているものだったりします。

特に、性格的、精神的な問題に関しては、この決め付けが重要になってきます。

なぜなら、「人の性格は人それぞれ」では、何も言っていないのと同じだからです。

したがって、人の性格は人それぞれというのは、当たり前で、当然の前提としてあるわけだけど、その中に何か特徴的な傾向がないのかを捉えることが重要になります。

さて、話を次のステージに移します。

ここからは、個人的な話になるわけですが、私はたまたま自分の血液型と自分の特徴がかなりの確率で一致しており、かつ、今まで認識すらしていなかった悪い部分が見えてきました。

そこで採用した方法というか、改善策は、自分と正反対のタイプを取り込むということでした。具体的には、AB型の正反対のタイプは、O型なので、O型的な考え方を学び、そして、自らに取り込みました。

これを行っていたのは、だいぶ前になりますが、私は、生まれながらに有する、一生気付くこともなかった自分の特徴を改善することに成功し、そして、以前よりは、バランスのとれた人間になったのではないかと感じています。

この点において、血液型占いは、私にとって結構役にたったという過去があるのです。

なので、血液型占いは別に信じなくても良いのだけど、今まで気づけなかった自分の特徴を把握するため、そして、自分とは反対の考え方をすると決め付けられているタイプを受け入れるため、場合によっては、それを自らに取り込むために役に立つと思っています。

ここで、基本的には、O型の人はAB型の良い所を取り入れ、B型の人はA型の良い所を取り入れていけば、かなりバランスのとれた感じになるのではないかと思います。もちろん、逆も叱りです。これは、AB型はO型を参考に、A型はB型を参考にということですが、念のため。

ちなみに、私がこれをやってたのは、だいぶ昔の話なので、今は違うことをやってたりします。マイブームも移り変わっていくものなのですよ。では。

あとがき

4巻の「あとがき」には、主観と客観の話が書かれていました。

著者の方は、「人間というのは、基本的には主観的にしか考えることができないものです」と述べられていますが、私はそうは思いませんので、ここではそれについて書いていきたいと思います。

まず、結論から述べると、著者の方は、理系的な、統計的な、そして、実験的な考え方をしない、または、したことがない人だなと感じました。

では、理系的な、統計的な、そして、実験的なもの視点というのはどういったものでしょうか。

例えば、ある実験を行っていたとして、実験の開始はおおよそ主観的なものから始まります。具体的には、実験を始める前は正解はAだと思っていたといったものです。しかし、実験を終えた時には、結果がBだということがわかったということがよくあります。皆さんもどこかで聞いたことがあると思いますが、「最初はAだと思っていたが、思ってもいなかったBという結果がでた」というアレです。正規の大発見的な。

ここで、研究者自身の考えは、「最初はAだと思っていたが、思ってもいなかったBという結果がでたので、私は、Bが正しいと考える」というようになります。

この場合、この研究者は主観的に考えているといえるでしょうか。または、このように導き出した答えは、主観的なものなのでしょうか。

私は違うと思います。もしこれを主観だと言ってしまうと、とても分かりにくいし、言葉の意味を成さないと私は考えます。

そして、実験を繰り返したものならばわかると思いますが、自分の主観がことごとく否定され、何が正しいかが分かってきたということを数多く経験してきた人も多いと思います。

したがって、そういった人たちから見ると、「人間は主観的にしか考えられない」という主張には、激しく違和感を覚えるのではないでしょうか。

これは、理系と文系の考え方の違いというものでしょうか。私はこのような区別が嫌いなわけですが…。

ここで、私は、理系的な考えをする人のほうが、折衷的であり、正しい答えを導き出す可能性が高いと考えています。

なぜなら、理系の人は、主観的な考えがあることを理解した上で、それでも、客観的な考えが存在することも理解しているからです。

例えば、電流の流れや、水は上から下に流れるといった自然のルールというようなものも言ってみれば、客観的な考えです。

そして、このような統計などの客観的なデータを元にして構築された考えは、客観的な考えと言ってよいのではないでしょうか。

したがって、私は、「人間というのは、基本的には主観的にも、客観的にも考えることができる」と思っています。

あと、「主観という牢獄に囚われた」という表現がありましたが、これについてわたしの考えを書きます。

牢獄なんてないよ。あるのは自分だけ。と私は考えます。

なので、牢獄があるとすれば、それは自分自身なんだと思います。

面白いですよね。何が面白いのかというと、目の前に檻(おり)があると思っていたら、自分が檻だったみたいなオチだからです。

この場合、自分から離れれば、自由になれます。超自由です。

そこには、輝いた世界が見えると思うのですが、どうでしょう。これも人によって違うのかな。

これについて個人的な考えを述べるのなら、多分違わない。全ては綺麗に、美しく形作られている、そういうようにできているから…。

たしかに、自分というフィルターを通してみると、人によって違って見える。例えば、ツボがあったとして、美しく見えたり、醜く見えたり。

だけど、ツボはツボなんだよね。

そして、すべての構成物質は、完璧であり、それ故、美しいものです。したがって、その構成物質からできるツボも、完璧であり、美しいのですね。

ちなみに、ここでいう美しいというのは、主観でもなければ感情でもないのですよ。

なぜなら、完璧なものを美しいと感じるように人間はできているからなのですね。

そして、なんでこういうようにできているのかというと、多分理由はないのですよ。

ただ、そういうものだというだけなんだと思いますね。

もともとそういうものなので。しょうがない、しょうがないのですよ。

少ししゃべりすぎましたが、今回はこんな感じですね。

あまのじゃく

異能バトルのラノベ5巻は、あまのじゃくであるB型さんの特徴をよく捉えている描写が多かったように感じました。

ここで、あまのじゃくとはどういうことなのでしょうか(実は最近までこの言葉の意味を知らなかった)。

例えば、J-POPをよく聞くB型の友人がいたとして「太郎はJ-POPがとても好きだろ?」と質問したとすると、太郎くんはかなり高い確率でこう答えます。

太郎「いや、それほどでもないよ」または、太郎「いや、好きじゃない」と。

ここで、B型の太郎くんに、J-POP好きを認めさせたいのなら、以下のように質問しなければならないので、面倒なのです。

私「太郎はJ-POP、あまり好きじゃないでしょ?」

太郎「いや、普通に好きだよ」

また、B型さんは、後述する感想と関連する内容ですが、現実として心を読み取っても、ほとんど意味をなさいないということが挙げられます。

コロコロと心情が変化するし、そもそもこちらの外部的発言が、心情変化のスイッチとなっていることも多いので、上記のような特徴を捉え、心情を読み取って対応するよりも、パターンとして対応するのが一番良いのだと思われます。

具体的には、喜びの心情を読み取り、「嬉しそうだね」と言ったとします。

しかし、太郎くんは、それがスイッチとなって急に激怒しだしたりすることもあるということです。このような場合、「はぁ、何いってんの、バーカ、バーカ」ということになりかねません。これがコロコロと心情が変化するということです。

実は、私は、外部的影響を一番受けやすいのがB型だと思っています。

ここで、本人というか、B型の特徴としては、内在や自分というものを一番に重視する傾向があるらしいのですが、実は逆で、心情変化が外部的環境に依存しているという側面が大きいように思われます。

この場合、私から言えることはほとんどなく「自分に嘘をつかないほうが良い」ということだけです。

B型さんは、たとえ本当のことであっても、自分が読み取られたりすることを過剰に嫌うあまり、それを書き換えてしまうことがよくあると感じています。

なぜなら、基本的には自分ですら自分のことをよく分かっていないと考え方を持つ傾向にあるからです。

例えば、多くの人が太郎はわかりやすいなーと考えていたとします。しかし、太郎くんはこう考えているのです。「俺のことが他人になんて分かってたまるか」と。

もちろん、これは悪いことでもなんでもなく、単にそういうタイプだというだけの話です。

あと、中二病についても深く考える良い機会だったので、ここに書いておくと、中二病は、やっぱり、B型さんの特権なのかもしれないなということです。

具体的には、作中では、「中二病とは、認めて欲しい、でも認められたくないという解決されない矛盾だ」と語られています。

しかし、もしそのことが本当だとすると、こういった天邪鬼(あまのじゃく)的な考え方をするのは、B型だけなので、自分自身を知られたくない、認められたくないとは思わないのですよね。

中二病というのは、表面的には、非常に目立つことをすることに他なりません。

ここで、その意図は、ほとんどの場合、自己アピールであり、認めて欲しいという気持ちからだと思われますが、あまのじゃく的な性質の持ち主からすれば、「本来なら認めて欲しいがための自己アピールだったものの、認められたら認められたで、天邪鬼が発動し、実は認められたくなかった…」となってしまうのだと思われます。

こういったタイプはそれほど多くはなく、O型、A型、AB型はそのような特徴は備えていません。このような特徴を備えているのは、B型だけなのです。

したがって、桐生一(灯代の兄)が言う中二病を本当の中二病だとすると、それは、B型で、天邪鬼的な性質を持ったものしか有効ではないと思われます。

これが、中二病はB型の特権だと表現した理由です。

しかし、私は、もっと広く中二病を定義し、その性質を明らかにしています。

具体的には、中二病とは「周りから痛いと思われる行動をしている者」と定義します。

これは、周りの多くの人の性質から判断される部分があります。

ここで、このように定義すると何が良いのかというと、ある程度数の問題として処理できると考えるからです。

例えば、世の中では、圧倒的多数をA型、B型、O型で占めます。したがって、それらの性質を有した人々が痛いと思う行動を中二病と定義することができます。

反対に、AB型は圧倒的少数であり、AB型が痛いと思う行動は、他の血液型の人達は痛いともなんとも思わなければ、それは中二病ではなくなります。

しかし、もしAB型の人間のほうが多数を占めるような社会では、AB型の人間が痛いと思う行動を中二病と定義することができます。

このように、中二病を時代や状況によって変化するものとして捉えることができるので、中二病を「周りから痛いと思われる行動をしている者」と定義することには、一定の意味があると考えます。

ちなみに、AB型が痛いと思う行動は、「焦ったり、怒ったり、喚いたりと感情の起伏が激しいこと」でしょうかね。私なんかは、そういったことを真剣に演じて、周りの人の気を引きたいというか、驚かせたい衝動に駆られることが稀にありますが(笑)、そういうことをやってる人を見ると、痛いな―と感じますので。

ただ、多くの人がこれを中二病だと考えることは多分ないでしょう。強いて言うなら、「狂った人」という感じでしょうか。

わけわかりませんよね。自分でもそう思います。

しかし、もし私のようなタイプの人間が多くを占める社会だった場合、もしかしたら中二病は、狂った人を意図的に演じる者と定義され、そのように認識されていたのかもしれませんね。

追記として、それぞれの痛いと思う行動をリストアップしてみました。あと、セリフは何となく考えてみた。

血液型 痛い行動 セリフ
O型 激怒 あの時はジューくんにキレちゃって、でも、どこかキレる私ってカッコイイ―って思った自分もいるんだよね。これって、中二病なのかなー。 by ◯子さん
A型 恋愛 あの時は安藤くんに惚れてしまっていたがゆえに、よくはしゃいでいたわけですが、今思うと、かなり痛い行動をとっていたと思います。騙されたことも少々。もちろん、その後すぐに正しましたが。by ◯弓さん
B型 自己設定★ あの時のネーミングセンスは今考えても…。うわああああってなるわよ! by ◯代さん
AB型 意味不明 千冬は、意味不明な「うにゃー」というライトノベルを書いたことがあるけど、あれは黒歴史。 by ◯冬さん

★は現在中二病とされている内容です。

やっぱり、人それぞれ、一番痛いと思う行動は違うのかもしれないなと思います。

ロリコン

今回の話は、個人的に非常に興味深かった話であり、言ってみれば、「ロリコン」の話でした。

結論として、「ロリコンはダメ、絶対」という内容だったのですが、小学生との恋愛は自由という感じだったので、まあ、そうかもしれないなと思った次第でした。

で、本作のロリコンの定義としては、「何歳から何歳までの少女だけを対象にしたものであり、個人を見ていないもののこと」みたいな感じでした。個人を見ていないというのは、例えば、A子が好きだった人が、A子がある年齢に達しただけで、対象外にしてしまうみたいな例で説明されていました。

そして、この定義からすれば、年齢関係なく、個人を見てれば、それはロリコンではないらしい。つまり、年齢10歳くらいの千冬であっても、年齢から好きになったのではなく、千冬個人から好きになったのであれば、それはそれで良いということらしい。

さらに、本作では、千冬が寿来にキスするシーンがあったりするのだけど、こういうことを含め、個人的な考えを書いていけたらと思います。

個人的な話

本作では、「女になる」という表現がよく使われています。例えば、鳩子が女になった、とか。

ここで、「女になる」の「女」という定義をどのように考えるかですが、私は、「異性に対し強烈な感情を有すること」と考えています。

このように考えた場合、私は、小学生でも女になる子はいるだろうなーと思っていますし、そのように感じたこともあるので、その時の個人的な話をしてみたいと思います。

私には、だいぶ昔、小学2, 3年生の子を女だと感じたことがありまして、その時は私のほうがちょっとだけ年上だったわけですが、その子の欲望っていうのかな、感情が強すぎて、怖くなって、逃げてしまったことがあるのですよ。

例えば、私は、人の感情を読み取ることができると思い込んでいまして、ここで、人の感情を読み取るには、3つの段階があると考えています。

具体的には、①相手の動作や癖などから嘘を見抜く、②相手の顔や雰囲気から本質を暴く、③相手の瞳から心を読む、と言ったレベルに分類しています。

これらは、一般的には、読心術と呼ばれ、レベル1が一番簡単に習得できる技術であり、レベル3が一番高度な技術であると私は思います。

そして、レベル3は、魔法と行って良いレベルだと考えています。

もちろん、これらはわたしの中の中二病的なものであり、信じる信じないは自由です。信じるという人は、そういった訓練を行うために役立つ本も出版されていたりするので、そちらを読んでトレーニングでもすれば良いと思われます。Amazonででも検索すれば出てくると思います。

さて、ここで問題にするのは、レベル3の領域ではありますが、レベル3のうちの一部の領域に過ぎませんので、それほど難しい話ではなく、これはだれでも経験したことがあるだろうなと思える話になります。

ちなみに、わたしが考える「本質」の説明は既にしていると思うので、ここで言う「心」とはどういったものかを説明していきたいと思います。

ここで言う「心」というのは、とても重層的なものであり、簡単にいえば、多くの矛盾を含み、言葉ではとてもじゃないけど説明しづらいものです。

その心を読み取ると、何かよく分からないもやもやした感じのものが読み取れ、最終的に、相手の心に対して、自分がどう思うのか、具体的には、怖い、悲しい、嬉しい、楽しいなどの感情が形成されることになります。

したがって、多くに、心というものは、読み取るのは簡単だけど、それを表現することは難しいです。

例えば、本作では、寿来が変な雰囲気になった鳩子、つまり、女になった鳩子に詰め寄られて、逃げ出そうとする場面が描かれていますが、あの時の寿来の行動は、鳩子の気持ち、感情を読み取ったが故のものだったと推測することができます。

そうです、人は時に相手の心を無意識のうちに読み取っているのですよ。そして、そういったことは割と日常的に起こっている現象だと私は考えています。

読心術と呼ばれるものは、おおよそこのような人間が無意識下で行う現象について分類し、解析し、それを説明しているものに過ぎません。

では、何故相手の心を読み取ることができるのでしょうか。

これは、凄く個人的な考えになりますが、精神的距離と物理的距離、そして、送信と受信という要素から説明できると思っています。

私は、物理的距離がめちゃくちゃ遠くても、精神的距離が近ければ、特定の人物の心を読み取ることができると信じています。

ただし、その人物が心を送信しなければ、受信、つまり、読み取ることは不可能となります。

ここで、心を読み取る技術は、相手が心を発信しているか否かが一番重要な要素になります。なぜなら、発信していなければ、読み取ることは不可能だからです。

しかし、多くの人は、無意識のうちに、例えば、心を読まれたくないと思っていても、自身の心を曝け出している、送信していることがあります。

私達のような人間は、このような不注意につけこんで、離れた場所にいる相手の心を読むことがしばしばあります。

といっても、基本的に対象をイメージできる相手の心しか読み取ることはできず、それ故、物理的距離が近く、目視出来る状態なら、ソッチノホウが読み取りやすいです。

ここで、こういった能力は、主に、直感力を頼りにすることから、それを発動するために、相手の瞳、つまり円に集中することが重要になります。これにより、相手の感情パワーが弱くても、相手が心を送信する気がなくても、相手の心を読み取れることができます。

ちなみに、遠隔地においては、相手が送信してなければ読み取りは不可ですが、目の前にいる場合は、相手が送信していなくても、読み取ることができることもある、という感じです。また、目の前にいる場合は、相手も送信しやすいという事情があります。

能力においての説明は、この辺で終わっておきます。

重要なのは、相手の感情の強さ、心の送信の有無、円に集中すると直感を発動しやすいという事情、直感を発動すると力技で相手の心を読むことも可能になる、などです。

また、物理的距離がどれほど離れていようが、感情が強く、心が送信されていれば、それを読むことも可能であることも重要です。これは、例えば、双子間におけるテレパシーなどから連想してみてください。

ちなみに、他人のことは絶対的に理解不可能だという考え方もありますが、私はそれを否定します。例えば、過去数千年にもなる多くの人々は、他人を理解することはなかったのか。他人を理解する事ができないまま死んでいったのかと言われると疑問に思うからです。さらに、言葉がなかった時代の人々のことも考え合わせると、どうにも納得出来ないし、それは、言葉のない他の生命についても言えることだと思います。彼らは、意思疎通ができないでいるのだろうか。または、他者とは絶対的に理解不能なものなのだろうか。

まあ、どう考えるかはその人の自由ですが、これも多くにタイプの問題だろうと私は考えています。要は、他人から理解されたくない感情が強い人は、理解できないと考えやすいし、他人から理解されたい感情が強い人は、理解できると考えやすいということです。

では、私はというと、他人の感情を部分的に読み取ることは可能だと考えているに過ぎませんが、どちらかと言うと、他者は理解できると考えるタイプだと思います。

話が更に長くなりそうな気がするので、この辺りで切り上げます。

さて、個人的な話に戻しますが、私は、目の前のじっと見つめる女の子の瞳から相手の気持ち、というか強烈な感情を読み取ったことがあるのです。

そして、それは、とても言葉にしづらい感情であり、無理矢理言葉で表現するならば、強烈な欲望、相手を求める感情、大好きだという気持ちみたいな感じで、とてもごちゃごちゃしているものでした。

その時、私は、その子、なんか変な感じになっちゃったなと思い、金縛りにあったようにしばらく動けなくなり、何か凄く怖くなり、少しの間フリーズした後、適当な事言って逃げてしまったことがありました。

その子は、見た目は、かなり可愛いかったと思いますし、将来は、美人さんになるだろうなという感じのO型の子でした。でも、好きとかそういうのではなかったし、ありえなかった。

今思うと、あの時の自分はダサかったなと思います。怖くなって逃げたということが凄くダサいと思うのですよ。

相手の気持に答えられなかったとかそういうものではなく、自分が逃げたことに対して、私は、後悔しているのでしょう。

私は単に堂々としてればよかっただけなのに、それができなかった。突然のことで、びっくりし、気が動転していた。そして、気が動転している人が取るダサい行動をしてしまったというところ、後悔しています。

そういえば、7巻で安藤が変な感じになった鳩子に迫られる場面がありますが、全くもってそんな感じでしたね。

恋愛ルール

このような事情を通して、何が言いたかったのかというと、本作で語られたような内容は、別に変なことではないということでしょうね。小学生でも女になることがあるという。

その理由は、下でも説明していますが、人の本質は変わらないということです。

私から言わせれば、小学2年くらいから人は大人になります。

人が成長したように見える理由は、単に本質が変わったのではなく、隠すのが上手くなっただけだと思います。もちろん、例外はありますが、大半の人はこんな感じなのではないでしょうか。

私は、恋愛というものを「与えるだけ」という感じで捉えています。具体的に言うと、「相手に与えるだけの存在とし、何かを求めてはならない」ということです。

ここを勘違いすると、変なことになったり、悲惨なことになったりするような気がします。

したがって、ルール的なものとして厳守することをオススメします。一般的に。

大半の小学生はそれほど子供っぽくないし、大人っぽくもない

小学生であっても、高校生であっても、本質は変わらないと思うのですよ。

違うのは、単なる知識と経験の差だけなのです。

例えば、小学4年生のあなたがいたとして、それは、たぶん今のあなたとそれほど変わらない。

確かに、人は成長しているようにみえることもあるのですが、本質は全く変わっていないことが多いので、同じ知識と経験があれば、導き出す答えは多分変わらないのですね。想像してみるとわかると思いますが。

したがって、4年の自分に答えをだすために必要な情報を与えて、聞いてみてください。あなたと同じ考えがかえってくるはずです。

これは、つまり、小学4年生のあなたは、今現在の知識を与えれば、同じ結論を導き出すだろうということです。

ここには、単に知識の差だけしかなく、小学生でも、高校生と同じように、考え、感じることができるのだというのが私の考えです。

その点で、私は大人と子供を区別する必要はあまりないと考えています。

ここで、小学4年生の自分を思い浮かべ、果たして周りの人間は、子供だったでしょうか。若しくは、現在のあなたの周りの人達は大人ですか。例えば、政治家を見てみるとよく分かりますが、不正を隠そうとし、自らの欲望のために動く様を見ていると、まるで子供のように感じることはありませんか。そうです。やってることは子供も大人もそれほど変わりはないのですよ。なぜなら、人の本質はいくら歳をとっても変わらないから。

変わるのは、単に自分の本性を隠すのが上手くなったということだけです。

本性、ここでは本質なわけですが、本質が変わったのではなく、本質を隠すのがうまくなっただけなのです。大事なことなので2回言いました。

さて、こういった根拠を示すのもだいぶ面倒になってきましたが、例えば、ネット。

ネットでは、いい年した大人が「う◯こ、う◯こ、バーカ、バーカ」と叫んでいるのを見たことはないでしょうか。私は、少ないですが、あります。では、これは一体何なのでしょう。

思うに、これはその人の本質が現れてるんじゃないかなと考えるのが、一番合理的です。こんなことを演じる、というか叫ぶ意味は皆無ですから。大人ならなおさら。

ここで、ネットでは人の本性が隠せないという説がありますが、私は、絶対的に隠せないとは思わないけど、現実よりネットのほうが本性が出やすいだろうという考え方をします。

なぜなら、ネットは個人を縛るあらゆる要素を削ぎ落とす側面があるからです。簡単ですね。個人を縛るものが少なければ、少ないほど、その人の本質が現れるものです。

そして、これが本当ならば、やはり、上記の叫びは、その人そのものと言って良いのだろうと思います。というか、その人の本性が現れたという感じで。

しかし、現実でその人が、他人を「バーカ」と言っているような雰囲気は感じ取れませんので、多分、現実ではこのような本性を隠して暮らしているのだと推測することができます。

つまり、何が言いたいのかというと、多くの人は、本質として、子供のまま大人になり、単に自分の本質を隠すのが上手くなっただけなのではないかと考えることができるということです。

したがって、子供の時、ドジで間抜けでトロイ子は、そのまま大人になります。通常は。

反対に、大人びていて、賢い子は、そのまま大人になり、周りからも子供の時と同じような評価をされるでしょう。つまり、人は、子供の時とそう変わらないし、変わるはずがないのですよ。

しかし、世の中の人々というのは、どうも子供を子供扱いし、侮っているなと思うことが多いのです。

本作では、千冬が結構小学生扱いされ、甘く見られているような気がするし、そういった扱いを受けているのですが、大半の小学生はそれほど子供っぽくないし、大人っぽくもないと思っています。

もちろん、馬鹿な子はバカだし、賢い子は賢くて、それは大人になっても変わらないだろうということです。

千冬が高校生になっても、中身は大して変わらないでしょう。中身というか本質なわけですが。

ただし、これは、小学生は大人なので、何をやってもいいということにはなりません。

「相手の嫌がることをやってはいけない」と思います。

これは、相手が子供であれ、大人であれ当然のことであり、当たり前のことです。

こんな当たり前のことは、小学生の時に習いますよ。

あと、「相手の嫌がることなんて分かるわけ無いじゃん、他人なんだし」という馬鹿げた言い訳は通用しないということは、当然のことですが、指摘しておきます。本来なら指摘するのもバカバカしいことなのですが。

もし相手が嫌がっていた場合は、それはアウトです。知らなかった、分からなかったという言い訳は、無意味です。知らなくても、分からなくても許されませんので。

したがって、ここで言いたいことは、小学生を子供扱いするのは止めましょうということと、相手が嫌がることは子供であっても、大人であってもやってはいけないということです。

安藤には、今後、普通の女の子として千冬を扱って欲しいですね。

ただ、これは、甘やかしが無くなるので、千冬には厳しいかもしれないとは思います。

そして、正直、安藤が千冬を好きになる展開は予想できないため、安藤は、好きじゃないなら、好きじゃないっていうのを早めに言ったほうが良いんじゃないかとすら考えてる。

上のような自分の考えを見てると、やっぱり、自分はとことん厳しくて、とてつもなく冷たいなー。適当。

しかし、そういうのは、千冬ファンもいる中、作品としては難しいのだろうか。

ここで、作中に出てくる小学生は、男性作者が描く場合は、空想的に、子供っぽ過ぎで描かれる場合が多く、女性作者が描く場合は、現実的に描かれる場合が多いように私は考えています。

具体的に作品名で挙げるとするならば、たまこまーけっとのあんこや、CCさくらの主人公などは、現実味あふれるキャラだったと思います。で、あんこは、見た目は確かに小学生っぽいんですが、中身の方をまじめに考えてみると、なんというか、どの世代にでも適応できそうな感じするんですよね。つまり、中学生としても違和感がないし、高校生としても納得できそうな気がするということです。あくまで個人的主観によればですが。

したがって、現実的には、小学生というものは子供扱いしてよいものなのかどうなのかは、私はかなり疑問を持っているということです。

反対に、作品としてならば、空想的に、小学生を子供っぽく描きたい場合は、本作のように子供扱いするのが適切な表現手法だと思います。そして、現実的に描きたい場合は、普通の女の子として描けば、それっぽくなると考えています。

10話

千冬と先輩のプールのお話でした。これは、ラノベで読んだのですが、原作を読んだので、色々抜けてるなと思いました。

今までアニメを見ていて、原作に手を出したことはなかったのですが、こういう感じなんですね。なんというか、本当にこれで伝わるのかな、と思ってしまいました。

11話

今回は、より本命に近いと思われる鳩子と灯代のお話でした。

最後に異能バトル的な終わり方をしたのですが、これは原作になかったような気がします。

リンク

異能バトルは日常系のなかで - Wikipedia